リビングでトマトづくり

昨年11月に自然に発芽し、10センチほどに育ったマイクロトマト(昨年夏の様子→こちら)だったが、1月末には完全に霜枯れてしまった。
このように霜枯れる前の12月に、2株を鉢上げしてリビングに取り込んでいた。 


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すると2株は順調に育ち、花をつけ、・・・

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実を結んだ。

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本日、高さ60センチにまでなった。

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4つの実が真っ赤に熟した。

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そこで、夕食のポトフに添えた。
小さい実だが、トマトの旨味がぎゅっと詰まっている。

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こちらの苗は、ジュース用トマト。
昨年購入した株から種を自家採取し、1月に蒔いたもの。
もちろん、ずっとリビングにおいて育ててきた。


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こちらはコールラビー。
カブのような形をしたキャベツの仲間。
あと1月ほど自宅で育てたら畑に植える。

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冬の間、本当はもっと野菜や花をリビングで育てたい。
だが、リビングを温室代わりにするのは控えめにしないと・・・。
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新しき村の今

1918(大正7)年、理想的社会づくりを目指し武者小路実篤は宮崎県に、そして1939(昭和14)年には、埼玉県毛呂山町に第2の新しき村を建設した。

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毛呂山町の新しき村の入り口。
きれいに刈り込まれた茶畑が訪問者を出迎える。


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お茶、椎茸と並んでコメ作りが主な産物。
米はミルキークインというから農の里と同じ。
この理想郷にも住宅団地が迫ってきているのはご時世だ。


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紅梅と、あと1月で咲き出すコブシの古木。
村民は桜の季節には集い、花見に興じてきたという。


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でも、高齢化し、現在、村に住んで農業を営んでいるのは十数名。
生産の柱だった鶏卵もやめた。
井戸用のポンプだろうか、放置されたままになっている。


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かつては幼稚園として使っていた都電も深く眠りについている。

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耕作放棄地にはお決まりの太陽光発電パネルがそこかしこに。
この労せずお金を生むシステムを故実篤氏はどう見るのだろうか。


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時折の訪問者の目的は、1980(昭和55)年完成の「新しき村美術館」。

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実篤氏の書、絵画などの遺品が展示されている。(写真:入場券から)

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新しき村は戦後すぐに財団法人化された。
衣食住完備、給料制で、義務労働以外は自由に過ごす。
それでもこの理想郷づくりが広まることはなかった。

泉平のいなり寿司

きょう2月12日は今年の初午(はつうま)の日。
この日は稲荷信仰では狐の好物の油揚げを使ったいなり寿司を食べる風習があるそうだ。


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馬車道の入り口交差点角にある泉平(いずへい)。(写真:2015年1月)
ペリー来航より前の1839年創業という横浜きっての老舗。
いなり寿司とかんぴょう巻だけで勝負という潔さも特筆。


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これは真空パックされた「味付けいなり」。
秘伝の汁で煮た油揚げが入っている。
酢飯を詰めるだけの手軽さで老舗の味を味わえる。

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そのまま使えば細長い俵型のいなり寿司となるところ、お揚げを半分に切ってしまった。
そのため、出来たのは・・・


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俵型ではなく、三角形のおいなりさん。
我々に馴染みのあるのは俵型だが、関西では三角形だそうだ。
狐の耳の形が三角形だからと。


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ところで、きょうは中井の畑に行ってきた。
藤沢警察署前を通って海岸道路(国道134号線)に出る。
その途中の民家横のお稲荷さん。集落で建てたものだろうか。


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そして、海岸のすぐ手前にあるのが鵠沼伏見稲荷神社。
垂れ幕に、きょうは初午祭とあるが何の行事なのか。
まさか、いなり寿司を配るのではないだろう。

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本殿横に奥宮があり、その参道には朱の鳥居がズラッーと。

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この鳥居、25万円で奉納できる。
アクリル製なので、たたくとポンポコと鳴る。


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稲荷神社にお参りし、いなり寿司を食べた。
ローソンが初午に合わせていなり寿司を売り出しているそうだが取材し損ねた。

ペリーのマンダリンブラフ

1958(昭和33)年5月、本牧の旧間門海岸での潮干狩りの様子。
一帯の海岸はその直後埋め立てられ、巨大な石油精製工場となった。

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60年を隔て、この海食崖は同じ姿で残り、その足元は本牧市民公園、崖の向こう側は三渓園として市民憩いの場となっている

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ペリーはこの崖を見てマンダリンブラフと呼んだそうだ。
マンダリンとはミカンのこと、ブラフは崖。
黒船からはミカン色に見えたのだ。

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旧間門海岸に面するのが、今も現地に立つ間門小学校。
かつては、休み時間に児童らは海辺で遊ぶことができた。
埋め立ての代償として作られたのが附属海水水族館。

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設立当初はポンプで海水をくみ上げていたが、今は人工海水を使う。

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水槽の魚は地元の漁師が定期的に補充している。
有志が手助けはしているが、普段の世話は児童が行う。

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ウミガメの赤ちゃんは沖縄美ら(ちゅら)海水族館から寄贈された。
壁に体重と身長の増加の状況が貼ってあった。
本施設、職員室に断ればいつでも見学可能。月に1回、一般公開日も。


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マンダリンブラフの頂上から見た現在の間門海岸。
道路は首都高速湾岸線。(写真:昨年11月)
雲がなければ煙突の向こうに富士山が見える。

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この石油精製工場には仕事で何十回も訪ねた。
定期点検中の巨大なガスタンクの中にも入った。
が、当時は崖のことも潮干狩りのことも、頭をかすめることさえなかった。
プロフィール

Shige Haru

Author:Shige Haru
●小学校3年生のときの理科の宿題が「季節のたより」
●何の花が咲いた、何の鳥が鳴いていた、初カツオを、あるいはイチゴを食べた・・・と日記風に書き記した。今と違って食材にも季節が感じられた。
●そんな季節を感じられる便りを、八ヶ岳南麓の里と横浜の自宅から、お伝えしていきます(故あって、今しばらくは自宅からが主となっています)。

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