エルトゥールル号海難事故

125年前に起きたエルトゥールル号海難事故を知っている日本人はまずいないだろう。でも、トルコ人の30%が知っているんだと。
トルコ(当時はオスマン帝国の末期)の軍艦が座礁し、500名以上が犠牲となった。その史実を描いた映画「海難1890」が上映中。
(写真:映画パンフから)

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座礁したのは、和歌山県・潮岬の東にある紀伊大島。(偶然にも1968年7月のバイクツーリング・コース図にその島が書かれていた。)
映画は、献身的に救助するその島民たちの姿を描く。

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トルコ人は親日家なのだそうだ。
一つにトルコ建国の父・アタチュルクが明治天皇を尊敬していたから、
一つにトルコの脅威だったロシアを日本が日露戦争で勝ったから、
一つにエルトゥールル号事故の際の日本の対応に今も恩義を感じているからと。

1985年、イラン・イラク戦争の際、テヘランから脱出できないでいた日本人215名を救ったのは・・・。知らなかったもう一つの事実で映画は感動的なクライマックスを迎える。
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松の手入れ

この時季の最大の庭仕事は松の手入れ。
古くなった松の葉を揉みあげる(むしり取る)。

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揉みあげ前。

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揉みあげ後。
すべての枝元の葉を揉みあげて、風通しを良くする。
余分な枝はカットしながら、全体の形も整える。

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高い所の枝は脚立に登って行う。

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右側は揉みあげ完了。形はイマイチだがスッキリした。
これだけやるのに7時間くらいかかった。左側の木は明日やろう。

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この松は中井町に住んでいた時に購入したもの。(○印、1981年3月)
植林用の苗木で、当時確か1本が50円くらい。
35年かかって庭木として仕立てあげてきたのだ。


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春の芽掻きと冬の揉みあげと、松は手がかかる。
手がかかる子供ほど可愛いというが植物も同じ。

模型飛行機

紙飛行機、昔、広告の紙などを折って作ったものだ。
今は、折り方の線が印刷された出来合いのものが売られている。
ただし、中国製だった。


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ゴム動力の飛行機は、上手く作れなかった思い出がある。
これも最近は、キットものが何種類も売られている。


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設計図を見ながら組み立てる。
竹ひごはすでに翼の形に曲げてある。これは楽だ。
薄い紙をボンドで貼り付けるのは慎重に・・・


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慣れれば30分もあれば出来上がる。

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こちらはさらにお子ちゃま向けで、翼は差し込むだけ。
3分もあれば完成する。

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「黄色い方はジージ、こっちはオレ(オ、にアクセント)がやる。」

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小さな指でプロペラを回してゴムを巻く。

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プロペラを押さえていた指を恐る恐る離すと・・・発進。

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床を滑り、ふわりと浮いた!「やったー」
小雨のため公園で飛ばせなかったが、十分満足してもらった。

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街のおもちゃ屋さんは少なくなった。
調べたら麦田のトンネルと本牧の間の商店街にあった。
購入したキットは日本製。頑張っている日本の中小企業にエールを。

湘南軽便鉄道

中井の畑の最寄り駅、JR二宮駅前にある木造の建物。
その手前の青い看板に「湘南軽便駐輪場」とある。

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そう、この建物は1906(明治39)年に開設された湘南馬車鉄道(その後SLを導入し軽便鉄道と改称)の本社だったもの。
屋根の形に当時の面影が残る。(写真:実行委員会作成の絵葉書から)


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軽便鉄道は二宮と秦野を結んで、貨物と乗客を運んでいた。
その路線跡は、現在県道となり、神奈中の路線バスが窮屈そうに走る。


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軽便鉄道の遺産は、他に何も残っていない。
地元自治体が100周年を記念して建てた石碑が旧駅跡などに建つのみ。

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火の粉を防ぐラッキョウ型の煙突が特徴なSLだった。
しかし、力はなく、乗客が降りて押すこともしばしばだったようだ。
小田急線の開通で客足が減り、1935(昭和10)年に営業を廃止した。

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その15分の1スケール模型が今回、地元の中井町に寄贈された。
以前、町内の子供達を乗せて走らせたことがあるものだという。

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秦野には当時専売公社があり、タバコや落花生の栽培が盛んだった。
現在も続くタバコ祭りはその名残りである。
40年ほど前、それは華やかな祭だったが・・・(写真:1976年9月)


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小田急線・秦野駅は、1987(昭和62)年までは大秦野駅だった。
それは先にできた軽便鉄道が秦野駅を名乗っていたから。
プロフィール

Shige Haru

Author:Shige Haru
●小学校3年生のときの理科の宿題が「季節のたより」
●何の花が咲いた、何の鳥が鳴いていた、初カツオを、あるいはイチゴを食べた・・・と日記風に書き記した。今と違って食材にも季節が感じられた。
●そんな季節を感じられる便りを、八ヶ岳南麓の里と横浜の自宅から、お伝えしていきます(故あって、今しばらくは自宅からが主となっています)。

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