ガラスのうさぎ

中井の畑の最寄り駅はJR二宮駅。
その南口駅前ロータリーに、「ガラスのうさぎ」像がある。

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終戦10日前の8月5日、米軍の艦載機P51が二宮駅に向かって機銃掃射を行った。それにより、12歳の少女の目の前で、その父が亡くなった。
(写真:今も二宮駅ホーム屋根に残る機銃掃射の弾痕)

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少女は、3月10日の東京大空襲で母と二人の妹を亡くしていた。
少女は二宮町の人の助けを借り、父の亡骸を大八車に乗せて、東海道を小田原の焼き場に向かった。
(写真:現在の東海道。当時はもっと松が残っていたと思われる。)

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1977(昭和52)年、両親と妹たちの33回忌に、彼女はこの体験を小冊子にまとめて参会者に配った。
これが出版社の目に留まり、同年12月、「ガラスのうさぎ」として出版された。
その後、映画になり、NHKでドラマ化もされた。

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1981(昭和56)年の命日、二宮町民の募金で「ガラスのうさぎ」像が建立された。像は、ガラス製のウサギを抱いている。
これは、お父さんのガラス工場の焼け跡から、熱で溶けたガラスのウサギの置物が出てきたことから。

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この日の除幕式に、4人の来賓が呼ばれた。
左から、「少女」ご本人の高木敏子さん、一人おいて、映画の少女役・蛯名由紀子さん、一番右がNHKドラマの少女役・高部知子さん。


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感極まった二人。
そうでしょう、当時の出来事を語られたら、だれも涙なくしてはいられない。
(除幕式の写真:撮影者は妻。私は仕事のため除幕式に出席できず。)


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これを機に、像にちなんだ和菓子が作られ、今でも愛されている。
中の白あんがさっぱりとした素朴な味。
ほかに、ウサギの形をした最中もある。


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そのお菓子(だけとも言えるくらい)を作っている「みせ吉本店」。
明治から続く店という。
「ガラスのうさぎ」像から歩いて2分。東海道に面している。

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現在も、町民は「ガラスのうさぎ」の想いを大切にしている。
「平和への想い、千羽鶴にたくして!」と称して、毎年この時期千羽鶴を織り、像に手向けている。

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ところで、機銃掃射の跡が残るのは、真ん中が高い山型の屋根(写真の手前側)のスパン。
その20mほどのスパンが、昔のままの廃レールを再利用した柱、梁、そして木の垂木づくりである。
その前後のスパンは、真ん中がへこんだY字型(写真の奥側)の構造に改築されている。

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二宮町は気候が温暖なことから、以前は「長寿の里」をアピールしていた。今は町総務課を事務局に「平和の願い」をアピールしている。

本来なら全部をY字型の屋根に改築すべきところを、戦争の痕跡が残るスパンは手付かずのまま残した。JRのしかるべき部署の価値判断の正しさ、思い入れに喝采を送る。

追伸:除幕式のあと一人の来賓(男性)はだれだか、ずっと分からなかったが、今回判明した。別の機会に紹介しますのでご期待あれ。
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井ノ口墓の前遺跡

中井の畑を耕していたら土器の破片が出てきた。
耕作を始めたころにもいくつか出たが、久しぶりだった。
口径が30cm以上ある壺のようなもの口縁部で、黒く焦げ跡がある。
なぜこんな処から土器の破片が出るかというと・・・

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畑のすぐ東側に秦野と二宮を結ぶバイパス(県道)が通っている。
(中井町内は、片側2車線)


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1982年、バイパス工事に合わせて、上と同じ場所で埋蔵文化財の発掘調査が行われた。
(以下の写真4枚は、発掘調査時のもの)

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その調査により中世の土葬の跡が見つかり、遺体も出た。
遺体の写真ははばかられるので、墓石(五輪塔)に替えた。


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土器(正確には土師(はじ)器)。

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古銭(永楽通宝など全部で12種出たとのこと)。
これら2種の出土品は、当時、自治会主催の見学会用に私が調査団から借りたもの。

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現在、調査地の脇に「井ノ口墓の前遺跡」の石碑が建っている。
ここは、数十基の五輪塔が林立する一大墓地だったと想定されている。

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この時の調査報告書が県埋蔵文化財センターにあるというので出かけてみた。
本ブログで取り上げたことのある浦舟水道橋(→こちら)のすぐそばである。
古びた建物は資料庫であり、その隣にセンターの本館がある。


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調査地周辺の埋蔵文化財地図を見ていてビックリした。
赤い星(27番)が発掘調査地で、緑の星が私が借りている畑。
畑は55番と37番の包蔵地に挟まれ、畑から土器の破片が出てくるのはこのためだ。
一方、青い星は私が1982年当時に住んでいたところ。
そうだったのか、埋蔵文化財の上に住んでいたとは!


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開発により多くの埋蔵文化財が破壊されてきた。
次善の策として、調査し、記録し、見学会を開き、ときに現地にモニュメントを残す。
古人の生きた証を知るために。

エルトゥールル号海難事故その2

昨年12月、エルトゥールル号海難事故を取り上げた(→こちら)。
映画に触発され、事故を取り上げた「東の太陽、西の新月」を読んだ。
その中に3人の興味ある人物が出てきた。


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最初の人物は、リチャード・ヘンリー・ブライトン。
事故の22年前の1868(明治元)年、政府が招いた英国人土木技師。
横浜公園に置かれている彼の胸像が見ている先には・・・


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日本大通り。ここに日本初の近代的舗装を導入するなど、横浜居留地の整備に尽力した。

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加えて日本の灯台の父とも言われ、初期の灯台の多くは彼の手になる。
エルトゥールル号が座礁し、生存者が収容された樫野崎灯台しかり。
写真(2014年12月)は犬吠埼灯台であるが、これも彼が建設した。

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二人目は、山下公園近くにあった英一番館に居た増田万吉。
その後、潜水業者となり、潜水服を用いた最初の日本人となる。
彼は、遭難者の遺骸の収容、遺品の回収に無報酬であたった。

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三人目は、山田寅次郎。(寅次郎と聞くと心が躍るが別人)
24歳の彼は全国から義捐金を集め、トルコに届けた。
そのままトルコに18年間滞在し、両国の橋渡しに尽力した。
晩年は茶道の家元としても活躍した。(写真は私の手作りの茶碗)

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ところで、横浜公園(写真奥)の近くに新月をかたどったトルコ国旗を掲げたレストラン「アリババ」がある。
10年以上前、トルコ人のシェフと日本人の奥さんが切り盛りしていたが、今は代替わりしている。

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トルコで最も有名な日本人は山田寅次郎だそうだ。
こうした民間交流が両国の友好を深めてきていたことを知った。

エルトゥールル号海難事故

125年前に起きたエルトゥールル号海難事故を知っている日本人はまずいないだろう。でも、トルコ人の30%が知っているんだと。
トルコ(当時はオスマン帝国の末期)の軍艦が座礁し、500名以上が犠牲となった。その史実を描いた映画「海難1890」が上映中。
(写真:映画パンフから)

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座礁したのは、和歌山県・潮岬の東にある紀伊大島。(偶然にも1968年7月のバイクツーリング・コース図にその島が書かれていた。)
映画は、献身的に救助するその島民たちの姿を描く。

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トルコ人は親日家なのだそうだ。
一つにトルコ建国の父・アタチュルクが明治天皇を尊敬していたから、
一つにトルコの脅威だったロシアを日本が日露戦争で勝ったから、
一つにエルトゥールル号事故の際の日本の対応に今も恩義を感じているからと。

1985年、イラン・イラク戦争の際、テヘランから脱出できないでいた日本人215名を救ったのは・・・。知らなかったもう一つの事実で映画は感動的なクライマックスを迎える。

伊豆の踊子

小説「伊豆の踊子」は昔読んだことがある。
以前TV放映された際、DVDに録画もした。
伊豆の山中、湯ヶ島温泉の湯本館が執筆の宿。

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その湯本館の外観は歴史をあまり感じさせないが、学生(高橋英樹)が踊子(吉永小百合)を眺めたという階段も当時のままとか。
(予算の都合上、ここに宿泊するのは断念した。)

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踊り子たちの鐘や太鼓の音で夜更けまで賑わった温泉街・・・
いまや、その面影はない。


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川べりの共同浴場から、裸の踊り子は学生を見つけて手を振った。
それら小説の舞台が、ここ湯ヶ島だと、ずっと思っていたが・・・
自宅に帰って、湯ヶ島ではなく湯ヶ野だということを知った。


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湯ヶ島をさらに南下すると浄蓮の滝。滝の入口に踊り子像。
踊り子たちが歩いた街道を、下田に向かって車を走らせた。


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国道をそれて、旧道を行くと旧天城トンネル。
踊り子たちの時代にトンネルはなく天城峠を越えたと思っていた。
石川さゆりも♪天城越え・・・と歌っている。


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1966年3月、いとこが運転する中古クラウンで来たことがある。
当時とそのままのトンネルである。


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完成は1905(明治38)年と看板にあった。
小説が書かれたのは昭和の初期。
そう、踊り子たちはこのトンネルを通ったのだった。


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思いこみとは恐ろしい。
天城峠まで登ることなくトンネルを抜け、この先の湯ヶ野温泉で踊り子は、白い肌をさらしたのだった。
プロフィール

Shige Haru

Author:Shige Haru
●小学校3年生のときの理科の宿題が「季節のたより」
●何の花が咲いた、何の鳥が鳴いていた、初カツオを、あるいはイチゴを食べた・・・と日記風に書き記した。今と違って食材にも季節が感じられた。
●そんな季節を感じられる便りを、八ヶ岳南麓の里と横浜の自宅から、お伝えしていきます(故あって、今しばらくは自宅からが主となっています)。

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