新しき村の今

1918(大正7)年、理想的社会づくりを目指し武者小路実篤は宮崎県に、そして1939(昭和14)年には、埼玉県毛呂山町に第2の新しき村を建設した。

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毛呂山町の新しき村の入り口。
きれいに刈り込まれた茶畑が訪問者を出迎える。


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お茶、椎茸と並んでコメ作りが主な産物。
米はミルキークインというから農の里と同じ。
この理想郷にも住宅団地が迫ってきているのはご時世だ。


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紅梅と、あと1月で咲き出すコブシの古木。
村民は桜の季節には集い、花見に興じてきたという。


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でも、高齢化し、現在、村に住んで農業を営んでいるのは十数名。
生産の柱だった鶏卵もやめた。
井戸用のポンプだろうか、放置されたままになっている。


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かつては幼稚園として使っていた都電も深く眠りについている。

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耕作放棄地にはお決まりの太陽光発電パネルがそこかしこに。
この労せずお金を生むシステムを故実篤氏はどう見るのだろうか。


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時折の訪問者の目的は、1980(昭和55)年完成の「新しき村美術館」。

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実篤氏の書、絵画などの遺品が展示されている。(写真:入場券から)

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新しき村は戦後すぐに財団法人化された。
衣食住完備、給料制で、義務労働以外は自由に過ごす。
それでもこの理想郷づくりが広まることはなかった。
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生きている壁

神田での用事の後、日本橋を経て東京駅まで歩いた。
八重洲口の改良工事が終わり、モダンに生まれ変わっている。
やや!駅前に見慣れないものが・・・それもフサフサした緑の毛まで!


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反対側から見ると、八重洲通りをバックに緑の島になっている。
この物体、地下街の換気塔か何かか?
その表面にスゲの仲間の植物を植え込んでいるのだ。


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駅の壁(裏側は新幹線ホーム)に沿ってペデストリアンデッキも完成している。
この緑化壁の中段の植物はヒューケラ。葉色が豊富で花も咲く。


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丸の内側にある三菱地所の「丸の内ブリックスクエア」。
再建した三菱1号館(写真のレンガ調の建物)との間の緑の柱。
いろいろな種類の植物が植わった柱。圧倒的な存在感である。
(写真:2014年6月)


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横浜松坂屋の跡地にできた「カトレヤプラザ伊勢佐木」。
工作物を覆うように、つる性の植物で緑のカーテンができている。
「ゆず」の路上ライブが再現できたらなあ・・・
(写真:2016年10月)


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東名高速道路・足柄SAのトイレ横の休憩スペース。
まるで絵画の趣。それも季節により色調が変化する絵画。
(写真:2016年11月17日)

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相鉄線西横浜駅近くのマンション「セルアージュ西横浜クリエール」。
販売主は、県内でマンション分譲を展開している㈱日本セルバン。
道路に面した1階の壁面を緑化したことを売りにしている。
サツキまで植え込んであるので5月はさぞや見事だろう。
(写真:2016年9月)


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この残念な姿は、静岡市内の駐輪場の壁面。
何が原因でここまで完璧に枯れたのだろうか?
(写真:2016年7月)


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近年、壁面緑化の技術が進歩してきている。
植え込まれている植物も多彩で見ごたえがある。
土のないところで生きる植物・・・最近のマンションっ子と同じ?

弔いの気持ち

昭和9年、父(左)と、父の9歳上の兄の写真。
兄は昭和19年9月1日、ニューギニアで戦死。
もちろん骨も遺品も帰ってこなかった。9月1日というのも疑わしい。
その一粒種は18歳で、また奥さんも40年ほど前に亡くなった。
父の心残りはその墓守だったが、幸いにも奥さんの縁戚の方が守ってくれている。


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京急線・上大岡駅の近くに「かながわ平和祈念館」と近くの高台に「神奈川県戦没者慰霊堂」がある。
毎年春、知事も参列して戦没者追悼式が慰霊堂で開かれる。
昨年、父が参列を希望したが、足の不自由なことから断念した。
(写真:2015年2月)


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祈念館・慰霊堂があるあたりは細い道が入り組んでいる。
この市道は一方通行だがバスをはじめ交通量が多い。
「歩行者注意」のペンキが真新しい。
HACの駐車場の端っこに赤いコーンがいくつか見える。ここで・・・

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10月28日あさ、登校途中の小学生の列に軽トラックが飛び込み、1年生の男子が亡くなった。
運転手は87歳。認知症の疑いがあるとのこと。なんともやりきれない。


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事故以来、現場には花が絶えない。
こんな痛ましい事故は二度と起きてほしくない。
そんな多くの人の気持ちがこの駐車場の片隅に満ちている。

セミの種類

梅雨が明けて3日目、暑い!
セミがここぞとばかり、辺り一帯で鳴いている。
ミーンミーンとジリジリジリジーイと、2種類が。


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昨日と今日、コンクリートの塀にセミの抜け殻が二つ張り付いていた。
近くの樹にはないところをみると、ここがお気に入りのようだ。

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環境省の「セミの抜け殻の調べ方」を取り出してみた。
都会に居そうなものは、アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ、ニイニイゼミあたり。

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塀に張り付いていたのは、鳴き声からいってもアブラゼミかミンミンゼミ。この二つ、触覚の形のわずかな違いで区別する。
ルーペで見たが、老眼もあってどうも分からない。無念。

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セミといえば、芭蕉が山寺で詠んだ「閑かさや岩にしみいる蝉の声」。
このセミを斎藤茂吉はアブラゼミだと、芭蕉研究家の小宮豊峰はニイニイゼミだとする論争が昔あったと。
結果は、芭蕉が山寺を訪ねた季節から小宮に軍配が上がった。
(写真:2004年1月1日、山寺で)

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12年前、JRの元旦フリー切符を使って山寺を訪ねた。
家長が元旦から家を留守にしたと言って、ひどく不評だった。

波の伊八

5年半前の話になるが、退職後に千葉に移住した友人の誘いで房総半島の中央にある大山千枚田を訪ねたことがある。
都会人がオーナーになってコメ作りをしていることで有名である。
(以下4枚の写真:2010年12月)


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その旅のもう一つの目的地が千枚田近くの大山不動。
奈良時代の創建という古刹である。


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その不動堂に立派な龍の彫り物がある。
今の鴨川市生まれの武志伊八朗信由、1803年、52歳の作。


P1020450 大山不動

伊八は、波を彫らせたら天下一品と評された。
葛飾北斎が、彼の波をモチーフに有名な「神奈川沖波裏」を描いたといわれるほど。

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伊八は東京、千葉、神奈川に名作を残すという。
今回、三浦市南下浦町の来福寺に伊八の作品を訪ねた。
ここは、鎌倉武将のひとり和田義盛の菩提寺でもある。

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本堂向拝の頭上にある龍がそれである。
最晩年の作であり、実際は弟子が彫ったらしいが、残念ながら波は彫られてなかった。

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房総の鴨川と三浦、陸路より海上交通が便利だったその昔は、案外近い関係だったのだろう。
プロフィール

Shige Haru

Author:Shige Haru
●小学校3年生のときの理科の宿題が「季節のたより」
●何の花が咲いた、何の鳥が鳴いていた、初カツオを、あるいはイチゴを食べた・・・と日記風に書き記した。今と違って食材にも季節が感じられた。
●そんな季節を感じられる便りを、八ヶ岳南麓の里と横浜の自宅から、お伝えしていきます(故あって、今しばらくは自宅からが主となっています)。

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